ネットに、突然ヨルになった人が他にもいて、同じ人がいる!と安心した。
ヨルになった。
わかってきた、
あの自我が消えるのは、インド哲学や、仏教でいう、ジャーナ、禅定。
特に瞑想で集中力が高まってなったわけじゃ無かったけども……そういう場合もあるんだな。
スピリチュアルでいう一瞥体験というのはおそらくこれのことだと思う。
じぶんがなったのは、第3か第4のジャーナ。
このジャーナの体験だけを持って悟るというわけではない。
スピリチュアルで一瞥体験した人は、別に悟ったわけではなく、薬物でトリップするだけでもこのジャーナに入れると思う。
それはあくまでも一時的なただの超常体験でしかなく、
悟るには、これに加えて真理に対するある程度の深い理解、この世に対する、本当の気付きが必要だと思う。
これらが達成されて初めて、悟りは開かれるんじゃないだろうか
悟りの必要構成要素
①真理への気づき、知識を得る(他人の知識智慧でok)
=誠の真理真実の知識の獲得
②洞察、理解を得る
(①から、その裏に潜む真理の諸々を理解=深い思考思慮及び洞察ができたら、①に伴って訪れる)
=知恵の獲得
③ジャーナ(四禅、禅定)体験にて無我などの真理を体験する
=智慧の獲得
⇒預流果到達
これが悟りを成す要素ではなかろうか?
……という事なので、かなり誰でも、普通の人でもなれる、できる事だと思う。
悟りって、すごい人じゃなくてもできるんだ、
ただ、悪意、他者のせいとか、ネガティヴな力に塗れてると無理だと思うけど。
ジャーナ体験を得るためには、手放すこと。金や名誉などの欲を捨てて自分を追い込む必要があると思う、
悟りとは、そういうものが無意味だと気がつくことなので…
というわけで、自分にはもう何もない……
そんな、この世界において
「持たざる者」になった時
ドン底に至った(と自分で思い込んだ)人が悟りやすい……というかジャーナ(一瞥体験?)を体験しやすいようだ。
①の真理、ダンマについて
無常、無我、因果、人生のシステム、人の世の地獄的システムへの理解と知識は最低限必要だと思う
②は、それについて自分なりに色々考えて、その裏にあるものを充分洞察しておく事。これが悟りへの種だと思う。
総合的に………①に自力で気がつくとしたら、自然を観察するしかないと思う。ある程度の自己観察や洞察力、そして時間と心の余裕が必要。聖者仙人の話を聞くと速い。
ただ早く悟りを開くだけなら聖者の話を聞く、理解し思慮思考洞察する、これだけでいい。
自然と接する中で色々真理を発見し、これを積み上げていく事で自然と 悟る時がくる。
自然に近ければ近いほど悟りやすい環境といえる。
種を蒔いておけば、いずれ収穫できる。蒔いてない作物を収穫したり、一晩で稲を収穫することはできない。
あなたに最良なタイミングで自然と、その時が来たらそうなる。
だから、一瞥体験とか悟りを求めて?それに固執したり渇望したりするのは違うんじゃないかな。
自分に与えられた課題をクリアーして、コツコツ普通に進んでいけば勝手に、自ずとそのときは訪れる。