縄文が好きなので視聴。
縄文時代は共有・共生の時代。とても平和な時代が続いたが、
弥生時代に新たな渡来人がきて、
稲作を大々的に始める事により争いや、支配と所有の時代がはじまった。
「私たちは2000年以上かけて
私がどこまでも大きくなっても許されるような世界に作り替えてきた」
縄文土器から弥生土器を見比べると
多様性や精神性、アーティスティックなど
様々なものが圧倒的に無くなってしまった。
「弥生文化は退化した文明」、確かにそうだ。
縄文人は稲作で争いがおきる事をわかっていたし、井戸を掘らなかったのも、大地を尊重していたからだろう。
人間や動植物は死んで大地に帰り、その土から土器がつくられる。
縄文人は土と粘土を一つの存在として命や意志のある存在として対話し、接していた可能性があるという。
勾玉 胎児 うずまき
文様が動いている縄文の生の世界
静止模様 弥生の死の世界
弥生から、世界は死の世界に入って行ったという。食糧生産と大規模な稲作が大きく自然環境を変え、現代の様々な問題をもたらした。
映画の最後の方では、食肉の生産過程の映像が流される。正直見るのがかなりつらい。でも普段からいつでも、ずっと行われてることなんだよね……。
縄文土器は、解釈が難しい。解釈ができない。
でも、わずかにわかるものがある。
・上の方に頭が付いていて、土器は女性の腹の中(子宮)を象徴し、そこで煮炊きされて再生を現す土器。そしてお腹でご飯を作ったら頭をとって捨てていた痕跡。
・女性の性器から火を生み出すようなモチーフで、 後ろから見ると顔、首になっているもの。
・生み出すお母さんと生まれる子供が一体になっている土器。
・月と太陽を現しているようなもの。
・上についているのが一見人の顔かと思いきや、角度を変えるとフクロウの顔になり、そのフクロウが蛇をついばんで、ヘビの一部が土器を廻り、人の背中の一部となっているもの。
縄文土器には、まだまだたくさんの秘密が隠されていると思う。
貝塚はゴミ捨て場だが 縄文には再生観念がある。
貝もイノシシも鹿も、人間も
再生の祈りを込めて他界に送り出すという発想に基づいて埋葬したという
生も死も同じで死んだら地球になり、また始まりとなる もの、土器も同じだったのだろう。
縄文土器も、多分――
完璧・保存という概念に真っ向から対立する現代の美術と対極をなす考えだった
別のものに生まれ変わる生滅不変の流れを崇めていた
全て生じて消えていく
あるものがまた形を変え別のものに生まれ変わるシステム
過去を積極的に捨て、再生消滅を促す
それが縄文の美
造り出したものも生まれて消えていくこと
すべてを別のものになりゆくことを良しとした
完璧は停滞 完璧は過去 完璧を維持しようとすると停止する。
人間がなにかをコントロールしようとすると停滞が生まれる。
所有や支配、過去にすがる事--それは死と破滅への道だと知っていたのではないだろうか。