アジアンドキュメンタリーズ
津波の子供たち 子供たちの証言
印象的な言葉があった。
大川小学校で子供を亡くした母親が、保身ばかりの先生と学校の会見を受けて
学校の先生も 亡くなった子供の親じゃなけば自分には関係ない、と思っているのだと。
自分には関係ない
それが積み重なって、被曝した、この社会が、出来てしまったんだなぁ。
この映画には出てこないが、後で自分で大川小学校の真実について調べてみた。裏山に登れば助かったのに、海の方へ行って大変被害者を出した学校だ。
教師同士の意見は割れもしたが、教頭は最終的に山に逃げようと判断したようだ。
だが、地元民にはここには津波は来ないという考えが蔓延しており、津波は来ないという区長と、山に逃げようという教頭の言い合いがあった末、山よりは低いが校庭よりは若干高いという、海側に逃げたようだった。
子供を亡くした保護者達は学校市教に怒り心頭。
会見を開いても、学校は事なかれ主義で謝らない。責任問題を恐れているようだったが、まず、ありのままの真実を語ってほしい。気持ちに応えてほしい。
子供のための社会はどこに行ってしまったのだろう。
被災者本人が頑張るしかなくなっている。
どうしようもない、どうしようもできない結果が生まれることはわかっていたのにそれを選んできた。
そこにいなければ関係がない
自分には関係ない
子供たちは、
地震を、津波を、被曝を、誰のせいにもしない。人任せにしない。
将来安全に関わる仕事をしたい。放射線の専門家になりたい。
そうやってただ、自分が何をするか 自分達が将来どうするかを考えている。
多くの周りにいた友達を亡くした子は、今もきっと自分の周りには死んだ子供たちがいて、一緒に遊んでくれていると思うと言う。
多分福島のこの事件は、生者と死者が双方向から、世の中の問題を解決していこうとするきっかけになるのだろう。
これなしに、今の世界を変えていける方法はないように思う。
生者も死者も、こうなることを決めていたのだと思う。双方が手を取り合っていくことを。
※誰かからのメッセージ
全ての人は自分の人生全てを仕組んで生まれてきます。
そこで何を学び、体験し、経験するか。大体の死ぬ時期。自分の環境やキャラクター、全て選んできています。
かなり短い寿命です。感覚や能力も、だいぶん制限されています。
一つ上の世界から自分の没入する一つ下のゲームは、全てコントロールできるようになってます。私たちがコンピューターゲームをコントロール出来るように。
そこに自分の分身を入れ、プレイ開始します。
しかし、それを全て忘れます。ここはそういう設定の…舞台だからです。
シュガーラッシュという映画があります。
別のゲームからやってきた凶悪なインベーダーが色々な他のゲームに入り極悪非道を働きます。世の中のことも暗にさしているのかもしれません。
物語は、よく暗にあなたたちの世界や他の世界を映し出しています。