※この記事は完全に映画の内容(ネタバレ?)を含みます。
最近、アジアンドキュメンタリーズというサイトで、映画見放題のプランを契約した。
基本的に映画には興味がないのだがどうしても見たいものがあったのだ。
「サラリーマン」という映画なのだが、それについてはまた別の記事で書こうと思う。それより最新で見たのがこれなので、感想を冷めないうちに書いておく。
「女性の快楽」
原題:#FEMALE PLEASURE
どの国や宗教でも、女性は汚れたものとして、支配して良いものだとか、罰を与えるべきだとか、聖典からののしられ、罵言を吐かれている。
イスラムの女性は"不浄な"女性らしい部分を隠す。
私は、それは
「ポニーテールは男性の情欲をあおるから禁止」と同じ理屈だと感じる。
つまり、普通の女性に一部の男性が勝手に情欲を感じて、女性のせいだと責任転嫁し、女性が気をつけろと制限され、それが法となった世界だということ。
その延長上には、女性の上に男性という構造を作り出し、女性を支配し、奴隷やモノのように好き勝手に扱いたいという意図がある。
作中、キリスト教で"経験者"のシスターは宗教は既得権益者に利用されているという。少数の人間が強大な力を行使して、行使された人はそれに反抗できないと。
世界ではFGMが行われている。
女児のクリトリスや女性器全体を切除し縫い合わせてほとんど塞いだりという習慣だ。泣き叫ぶ女児を抑えつけて股を開いてナイフで"不浄な"局部を切り取る。
それは男性の性器に値すると思うが…なんで男性器は切り取らないの?
なぜ、男性の快楽は重視されるのに、女性の快楽は軽視されるのだろう?
長い間続いてきたその習慣を 変えようと動き出した女性がいた。
地球にはたくさん動物がいるが……
例えば鹿のメスは尻軽でアバズレだろうか?オスよりも価値が低くオスを誘惑し堕落させる存在?メスは罪深い?鹿の淫部は罪?
控えめに言って頭がおかしいだろう。
それならあらゆる動植物の隠部も片っ端からFGMするべきでは?何故人間の女性の隠部だけ?人間の女性だけ汚れている?(やはり、女性を支配したいだけなのでは?)
その背景には、集団を罠に嵌めていくある手法が浮かび上がってきた。
話を聞くと母も祖母も被害者で、FGMがいい母親になる条件と刷り込まれ 男もFGMしていない女性と結婚するのは男らしくない と刷り込まれていた…
集団への"刷り込み"(プレッシャー?)という手法が、平等な世界を壊していた。
日本では自分のまんこの型をとってアート作品を作った女性(ろくでなし子)が逮捕される。
男性器は神社の神輿などで巨大な像をめっちゃ担がれているのに、女性器はだめなのか。日本では、未だに相撲も寿司職人も一定の山も女人禁制だ。
キリスト教のシスターは長い間牧師から性被害にあっていた。最初に、男性は性に弱いから女性が気をつけるようにと言われた。思考を奪われ、構造的に逃げられなかった。上司に告発しても怒鳴られ、法皇に手紙を書いても何も無い。レイプの被害届を出すのには自分が抵抗したことを自ら証明しなければならなかった。女性が誘って、男性を堕落させるという、イブを基準とする考えだから。
宗教は男性と女性に求めるものが違う。
聖書にはいろんな男性が出てくる…ヨハネもペテロもパウロもみんな罪人だが、聖人だ。一方、女性はマリア。処女で母親、7本の剣で刺されても無言で受け入れ、何でも許す。完璧な献身。完璧。どう考えても無理、無理のある存在。女性は完璧を求められ、失敗は許されない。その考えは体勢を維持するために使われ、"神の意志"とされているという。
性被害に遭う女性たちは被害を訴えない。お前が悪いと言われるから。
インドでは3人に1人が被害者。女児はどこでも触られ放題なのだという。
どの国でも想像を絶する女性を取り巻く現状に、引いた。
(あとで調べたところ、インドでは男性保護で 暴力、レイプ、殺人何しても許されるかつ女性には権利がない。更にその上にカースト… 男性は暴力や性(人のせい)と酒麻薬に溺れ…男って…いる?世界の地獄化がもう限界まできてる印象。)
女性は人として見られる前に女として評価される。
常に女性としての見た目を評価され、女性らしさを評価され、まず成したことよりもそれらを評価されることが男性と違う。
それは、男性目線の、男性にとっての価値だ。
ユダヤ教の女性も 宗教コミュニティでは自分の価値は自分で決められないという。
女は、男性の暴力か快楽に使われるか単に子供を産むもの、という認識らしい。
男性目線で一方的に広められたタルムードには、神は私を女でなく男に産みたもうたことに感謝する、という一節がある。 呆然。
私たちも何かの宗教の中にいるのだろう。
世の中にはポルノが溢れているが、それは男性の都合であって、女性が望んでいることとはかけ離れている。それは実際役に立たないどころか、女性を苦しめる。
世界中、女性のイッたふり大合唱がされているという。(笑)
不浄と刷り込まれて自分の体を好きになれない女性、女性器を切除され痛いだけの女性、AVを見て実践され痛いだけの女性 気持ち良くないことが言えない女性
AV女優は商品のため、痛くても気持ちいい演技をしているのがわからない男性がいる。
男性は、一方的に女性を支配して乱暴にコントロールするようなシチュエーションが好きなようだが、女性たちが望む性とは、平和で、平等で、優しく穏やかで信頼と思いやりのあるコミュニケーションだ。
愛に…セックスに…
女性たちは、求める。
同意を得ること 互いに尊重すること
敬意
男女に平等な権利を与えること
誠実さ 満足 傾聴 相互 信頼
考えてみれば、それらは性にだけ必要なことではなく
男女だろうと友達であろうと家族や職場であろうと、当たり前に必要なものばかりだ。
現状に、慣習に、おかしいと意を唱えて変えていこうとする人たち。
男尊女卑や家父長制、女性を不浄とすることに意を唱える人。
この映画には強い女性たちが沢山出てくる。
キリスト教、ユダヤ教、イスラム教などの性被害から逃れてきた人たち。どこでも女性は査定され、支配され、性犯罪が蔓延している。
日本もそうだ。
自衛隊などのお堅い職業から、芸能、宗教、セクハラパワハラ、女のせい、隠ぺい、声を上げない女性、
溢れかえっている。
知らないのは、無知なだけだ。
たくさんの声を上げない女性の上に、
今、たくさんの強い女性が声を上げている。
彼女らに深い共感と、敬意を感じる。