十五夜お月様見て
月見で合宿中に気が付いたことを思い出した。
いわゆる失敗とは失敗ではない。
本当の失敗とは、そこから何も学ばないことだ。
失敗も成功も、等しく学びである。
必要な学びを繰り返し、一定に達した時に必然として所謂成功(目標に達)する。
学びや経験は必要なだけいる。
必要なだけ時間がかかる。焦らない。必要なだけ時間がかかり、必要な経験をしなければならない。
必要な時間と経験をすれば必ず到達する。山登りと同じ。
自分は自分に自信がない。
だからハードな事を自分にかす。今の自分が認められない物だと思ってる ある意味強迫観念のようなものがあって、だからあんなに努力するんだな。必要以上に詰め込んでしまう。
聖なる沈黙を終えて〜
自分は人と話したいか?いや、特に話したくない。話したいことがない、聞きたいことがない。
1回目に参加した時特に話したくもないがみんな話しているので話に行った。でもその後特に連絡していない。数日で終わる縁になんの意味があるだろう。縁がある人がいれば、必然的に付き合うだろう。
みんな人と話している。孤独を感じる。自分も人に話しかけてみようか?なんのため?興味がないのに話すって失礼じゃないか?私は今人と話したいか? いや、特に話したくないし話すこともない。
私は多分1人、最後の日まで話さなかった。
月は綺麗だ、静かに空に溶け込むように佇んでいる。
月は陰、(海外映画のイメージで)不吉とされてるけど、 陰の静かにほんのり自然に佇むスタイルって本当はいいものなんじゃないか…
太陽の陽、経済の発展、経済を回すって本当は破壊を良いように言ってるだけ?とふと思った。
いくら本人が良くてもとりまきに悪人が列をなして囲んでいるならば、諦めなさい。
人はここまで落ちてしまったか……
今の世はバッドエンドに進むルートに入っている。
自分が考えたところコレを持ち直すには、圧倒的大災害による人類削減と、霊性による生まれ変わり世界の振り分けが必要と感じる。
なければ破滅だろう。